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八景島シーパラダイスのミツクリザメフィーバーに思うこと [サメ]

今月13日、八景島シーパラダイスに今シーズン初のミツクリザメが搬入された。
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※写真は昨年のもの

八景島でのミツクリザメ展示は、今や驚く話ではないのだけど、今回の搬入数は何と11匹!! それは流石に驚かずにはいられないというものだ。
今回オレは見に行くことができなかったが、各種SNSはどっちを向いてもミツクリ祭り。ついでに、オレのブログの過去記事までアクセスが集中(笑)
少なくともオレ周辺では、ちょっとした“ミツクリフィーバー”が巻き起こっていた。
幸い、週末まで生きていたこともあって、見に行った人はかなり多かったようだ。

ただ、今になって展示に対する否定的な意見も目に付くようになった。
死ぬと分かっているものをどうして展示するんだ、とか、逃がすことはできなかったのか、とか、全部を連れてくる必要はなかったんじゃないか、などが主だったところ。

でも、こういう否定的な意見が出てくることも、生きたミツクリザメの姿を多くの人が見たからこそ、なんだと思う。
きっと、生きたミツクリザメの想像と大きく違う弱々しさに、同情的な気分になるからなんじゃないかな?
オレだって、6年前に初めて生きたものを見た時、儚さすら感じさせるその姿に、見てはいけないものを見てしまったような、何だか後ろめたい気分になったものだ。
とは言え、八景島シーパラダイスが行った11匹の展示は、一部で言われているような酷いことではないと思う。

そもそも、ミツクリザメは狙って捕れるようなものではないそうで、捕れるか捕れないかは運次第。展示を計画したからと言って、それができるような代物ではないのだ。
八景島で展示されることが多いのは、シーパラと付き合いのある漁師の漁場が、たまたまミツクリザメの多い場所だから、なんだと思う。
それだって、その水深にいる別の何かを捕る網に偶然かかってしまっているだけ。漁師からすれば、本来の狙いとは違う混獲物なのだ。
通常ならシーズンを通して1匹か2匹しか捕れないものが、今回13匹も捕れてしまったのも、何かしらの理由はあるのかも知れないけれど、結局は偶然が重なって、ということでしかない。
だからこの先、再び展示されることがあるかも知れないし、もう2度とない可能性もあるってことだ。

そんなに多く捕れるなら、少しは逃がせば… という意見だが、ミツクリザメに限らず、深海ザメは水から揚げると、途端に弱ってしまうのだそうだ。
1度水から揚げてしまえば、そこから海に戻しても死んでしまう可能性が高い。
そもそも、深海から急激に引き上げられているのだから、その時点でかなりのダメージを受けてしまっているのだ。
漁師が狙った漁獲物を回収するのに、網を揚げるのも当たり前の話であるからして、網にかかってしまったサメは、本当に運が悪かったとしか言いようがない。

死ぬと分かっていても、それが食べる目的のものなら、まだいいのかも知れない。
でもそれが、展示と言えば聞こえはいいが、“見せ物”になってしまっていることが、命に対する冒涜のように見えてしまい、それを不愉快と感じる人がいるのだろうと思う。
でも、当のサメからすれば、食べられようと、見せ物にされようと同じこと。
捕まった時点で、死んでしまうことに変わりはないのだからね。
ならば、その姿を展示という形で見せてもらうというのは、食べるのと同様、命の有効利用ではないかと思うのだ。
TVなどで見て、それに興味を持った人が、その生きた姿を見て何かを思い、考える。
それが上記のようなネガティブなものだったとしても、生きた姿を見たからこそそう思った訳で、展示されたことに意味はあったのだと思う。
だから、個人的には、不幸にも我々の目の前にやってきてくれたミツクリザメには深く感謝しているつもりだし、その機会を作ってくれた水族館にもありがたいと思っている。

それもダメだというのなら、水族館や動物園など、生きた生き物を展示するという行為、そうした施設の存在自体がダメ、という話になる。
もちろん、それ自体が人のエゴによって成り立っているものだから、展示される生き物の立場で考えれば、“悪”以外の何物でもないのだけれど…

飼えもしない生き物を… については、飼育法が確立していない生き物は、例えそれが深海生物でなかったとしても、ほとんどの場合、最初はうまくいかないものだ。
今でこそ飼えるようになった生き物でも、最初は今のミツクリザメよろしく、アッという間に死んでしまっていた歴史がある。
そんな失敗から何かを得て、対応、対策を繰り返して、ようやく長期飼育が実現するのだ。
深海の住人であるミツクリザメが飼えるようになるには、まだまだ乗り越えなくてはならないハードル、それもかなり高いヤツがいくつもあるから、長期飼育はまだまだ夢物語に近いけれど、いつか何かのきっかけで、飼えるようになる日が来るかも知れない。

“飼う”からこそ、知れることは山ほどある。
だからと言って、生き物を消費していいという話ではもちろんないけれど、遠く未知の世界である深海の、魅力的な住人のことをもっとよく知りたいと思っているのはオレだけではないはず。
水槽で弱々しく死にゆく姿を見せられるのは、決して気分のいいものではないけれど、いつか、きちんと飼育、展示ができるようになる日のために、その死も無駄にはなっていないはず… そう信じたい。
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コメント 2

秋水

いつも楽しく拝見しております。
「生きる」ということ、そして「命」に対して誠実に向き合っておられることが伝わってくる内容だと感じました。

素晴らしい文章をありがとうございます。
by 秋水 (2013-11-29 17:10) 

ミストラル

>秋水さん

いつも見ていただいているとのことで、ありがとうございます。

生き物を飼うことの功罪と、知りたいという欲求をどう折り合いをつけるべきなのか。
水族館好きとしては、悩ましいテーマです。

お褒めいただきましてありがとうございます。
気に入っていただけたなら幸いです。
by ミストラル (2013-12-05 11:16) 

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